ケープ・ライトのdiary

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今年も1年ありがとうございました。


気がつけば2017年も大晦日を迎えました。
今年もさまざまなお客さまに出会い、楽しい撮影をたくさんさせていただきました。本当にありがとうございました。


今年は特に、以前に結婚式を撮影させていただいたお客さまに、お子さまが生まれたり、七五三を迎えられたりして記念撮影をさせていただく機会が多くありました。

結婚式の日だけで終わる関係でないことがとてもうれしく、このスタイルで仕事をしてきて本当に良かったと思います。
(中には結婚式以来10年にわたり、毎年撮影をさせていただくお客さまもいらっしゃったりして、それがぼくたちの大きな自慢になっていたりします!)


秋、とくに10月は土日に雨が多く、結婚式の日が大雨だったことも1度や2度ではありませんでした。

お客さまが思い描いていたのは秋晴れの下でのガーデンウェディング。

それなのに「こんな雨の中、ゲストに足を運んでもらうのが申し訳なさすぎる・・」そんな嘆きの声も聞きました。

それでも結婚式に携わるみんなが「雨でも良い結婚式ができるぞ!!」と諦めることなくビショビショに濡れながら(カメラも結構濡らしながら)出来る限りのものを作りました。

お客さまからは「雨でも屋外での結婚式を選んで良かったです!」という嬉しい声を聞くこともできました。

ぼくたちが撮影をする結婚式はほとんどが屋外で、どうしても天気に左右されるのですが、天気に関係なくそして真冬の屋外での撮影でも、「喜んでいただける写真を届けることができる」そう自信を持って言えるようになったことが、今年成長できたことのひとつです。


ケープ・ライトを立ち上げて12年。その中でも2017年は大きく進化できた1年になったと感じています。

2018年は、もっともっと深みのある写真を、本当に届けたい写真を突き詰めて行こうと考えています。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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なぜケープ・ライトはアルバム作りにこだわるのか?

ぼくたちの結婚式を撮るという仕事はフォトグラファーの中でも特殊かも知れません。

例えば他のジャンル、コマーシャルや建築、料理・・そういった撮影ならデータをお客さま(依頼主)に渡せばそれで仕事は終了します。
そこからデザイナーさんや編集者の手によって、より見やすいように写真は加工されて行きます。

結婚式の撮影はそうではありません。

フォトグラファー自らが、その後手に取って見やすいようにフォトアルバムという形にしてお客さまにお届けしています。

アルバムを作るという作業は写真の見栄えをさらにイキイキしたものに変えられる魅力ある作業ですが、その分時間やコスト、エネルギーだって使います。

正直な話、デジタルデータのままお渡しするほうがぐっと手間が省けるし、撮影に集中できるので有難いよな、と思うこともしばしばあります。(実際結婚式の撮影でもフォトアルバムを作らず、データでお届けする会社さんも増えています。その方が安くもできるので予算を低く抑えたいお客さまにも選んでいただきやすくなります)

ただ、データだけを渡されたお客さまはその写真をその後どうするのか・・

それが心配です。

後々のことを考えていくつもバックアップを取ったり、ネットからフォトアルバムを注文したりプリントするならまだ良いかもしれません。

でも、データを受け取ってみんなでパソコンやテレビに写して鑑賞して盛り上がっても、そのままにしていたら・・・

デジタルデータは形のないものです。なにかの拍子にその媒体が破損すれば、結婚式の記録は一切ゼロになってしまいます。

それは人生の大切なひとつのピースが欠落してしまうようなもの。あまに悲しい出来事です。


ぼくが19歳の時阪神淡路大震災で家が全壊しました。
その時もっとも先にみんなが探したのは家族の思い出が詰まったアルバムです。
今でも 90歳になる祖母は僕達が実家に帰ると嬉しそうに昔のアルバムを持ち出してその頃の話をしてくれます。中にはぼくが生まれるはるか前のものだってあります。

東日本大震災の後も、津波で汚れたアルバムを洗浄するというボランティアがあったほど、家族にとって写真のアルバムというのは大切なものです。

これがデジタルデータでしか残っていないと、被災してしまった写真はもう復旧させるのは難しいことでしょうし、いつでも手軽にどんな年代の人もみんなで見るというのも叶いません。

もちろんこれからデジタルデータの保存技術や鑑賞方法ははどんどん進化していくでしょうが、やはり 2017年の今はそれが現実です。

ぼくたちは、結婚式の写真はその家族にとって、一生宝物になるような大切なものだと考えています。何十年、何百年たっても笑顔で見返してもらえるものを届けなければならないと考えています。


ぼくたちが新しいアルバムを取り入れる際最も気にするのは、「このアルバムが今の状態で何年保存できるか」ということ

そのために感材を作っているメーカーを厳選したり、アルバムの素材には酸性でもアルカリ性でもない中性の素材を選んだりと細部まで気にしながら制作しています。

そして (直射日光や湿気を避けて保存すれば) プリントタイプの「クラシックアルバム」なら200年、印刷タイプの「フォトブック」なら50年劣化はしないで保存できると自信をもってお伝えをしています。

表紙は革を使い、時間とともに成熟していく(家族のような)変化を楽しんでいただけるようにしています。

いつになっても見返したくなるフォトアルバムを届けることが、ウェディングフォトグラファーの役割です。

だから素材にこだわり、編集にこだわり、価値のあるアルバムを作り続けています。


河田洋祐

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季節外れですがさくらフォトのことを書きます。

今年のさくらフォトは4月3日の日曜日に開催し、予想を大きく上回る130組のお客さまが来られました。

集まった募金は6万7838円にのぼりました。

これは当日来てくださった130組、300人以上の方のご好意によるものです。


ようやく寄付や受領証受け取りの手続きが全て終わりましたのでそのご報告をさせていただきます。


当初の予定では寄付金の中から最低限の経費を除いた額を「西宮緑化基金」へ寄付する予定でした。

しかし、「さくらフォト」開催から間もない4月14日熊本地震が発生しました。

「さくらフォト」を開催した西宮は1995年阪神淡路大震災で大きな被害を受けた場所です。

ぼく自身も西宮の実家で被災し、多くのボランティアの方に助けていただいた記憶があります。

地震の被害に遭われた方の苦しみ、悲しみは決して他人事とは思えないところもあります。


今回「さくらフォト」で集まった募金でその時の恩返しをしたいとも考えました。

そこで今回は熊本地震、そして同じ時期に地球の裏側で起こったエクアドル地震へも寄付金を送ることにいたしました。

集まったお金は6万7838円です。

2万7838円を西宮緑化基金へ

2万円ずつ日本赤十字社を通して熊本地震、エクアドル地震に対しての義援金・救援金として寄付させていただきました。

来てくださった方のご好意で少しでも苦しんでいる方に幸せが訪れることを願いました。


満開の桜の下、笑顔いっぱいで写真を撮る「さくらフォト」はぼくたちも大好きなイベントです。
その笑顔いっぱいで撮影をしている時も、災害によって苦しんでいらっしゃる方がいることを忘れてはならないと思います。


さくらフォトに来てくださった皆様、ご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。


ケープ・ライト 一同

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初めまして。
この4月からケープライトにやってきました、矢寺梨奈(やてらりな)と申します。
よろしくお願いいたします!




先月、私たち5人は1泊2日で東北へ行ってきました。



飛行機で関空から仙台空港へ。
初日は一日中、不安定なお天気でした。
仙台駅周辺で朝ごはんを食べて、気仙沼へ。


商店街や、その近くの震災の名残のある場所を見たあと、
河田さんが2年前気仙沼で知り合ったおじさん、通称ウメさんに会いに、安波山(あんばさん)へ向かいました。


安波山は震災当時非難場所になったそうで、今では集合してお祈りしたりライブをしたりもするようです。
ウメさんも参加されたそうですが、当時の映像を見るのは辛いとおっしゃっていました。


ウメさんは当時の様子をよく覚えていらっしゃって、私たちに丁寧に教えてくださいました。

どこどこの娘さんが流された
警報が聞こえたとき急いで仕事を切り上げようと呼びかけた
震災後みんなと再会したらわっと駈け寄られて…

細かい、でも鬼気迫るエピソードひとつひとつが、ニュースや新聞よりずっと現実的で、
私の頭の中を助けてくれました。


たくさんのお話を聞かせてもらって、ウメさんとお別れしました。
私たちをあたたかく出迎えてくださり、親切にしてくださったウメさん。
本当にありがとうございました。
また会いに来ます!



この晩、私たちは陸前高田にある"箱根山テラス"という宿泊施設で1泊を過ごしました。
とても居心地がよく、旅の疲れが癒されました。
星がとってもきれいだったので、私は必死でカメラにおさめました。


*****


翌日はとてもいいお天気でした。



陸前高田の商店街にも寄ったあと、"奇跡の一本松"を見に行きました。

その地域は一面、工事工事工事。
まわりにはクレーンとフェンス以外何もなく、ただ土の地面とぬかるみが広がっているのみです。

その中に、ものすごい高さの松が、たった一本だけ立っていました。

今ではレプリカとなったそうですが、7万本あった松の森が全てなぎ倒されるような津波の中、
たった一本だけ生き残った奇跡の一本松。
どんな状況だったのか、どんな意味があるのか、理解に苦しみました。


ですが、そのあと入ったカフェに置かれていた絵本の表紙が奇跡の一本松だったので、
ふと気になって読んでみました。


そのお話の主人公は、奇跡の一本松で、自分だけが生き残ったことに悩み苦しみます。
いっそ自分も死にたいと思っていたある日、夢に死んだ家族松たちが出てきます。
7万本の松の仲間たちが、震災当時、この子だけは死なせてはいけないと、津波に立ち向かったのだと聞かされます。
生きて、死んだ仲間の分まで生きなければならない。
その日から、一本松は一生懸命に成長し、やがて、新しい命のお母さんになりました。


私は、生き残った一本松について、少し考えることが出来ました。



そして私たちは陸前高田をあとにしました。


*****


この旅では、一本松、むきだしの配線や鉄骨やコンクリート、ウメさんのお話、何百台も並んでいるトラック、
工事のガチャンがチャンいう音、海岸の空気、閉店した店、新しい店、絵本、ごはん、星、
色々なものを見たり聞いたりしました。

人の気持ちまでは想像しても到底しきれません。
でも見聞きしたものを頼りに、ほんの少し、感じることができたのかなと思います。


ただ、正直な感想を一言で言うと、
東北、めっっっちゃいいとこ。

自然がいっぱいで、綺麗で、広くて、美味しくて、楽しかった。



東北、ありがとう!

また絶対来よう。

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今日で阪神淡路大震災から20年がたちました。

その日ぼくは西宮市に住んでて震災のひどい揺れも、その後の混乱も体験しました。

震災から20年がたったなんて想像できないし、何よりあの時20年後のことを考える余裕なんてまったくなかった。
あの後時間がたってこのように家族や仕事場のスタッフと毎日楽しく過ごしているのは感謝してもし切れないくらいの幸運に恵まれているからだと思います。


当時ぼくは19歳でした。

世の中はすべてが秩序だったものだと思っていました。

信号は赤から青、そして黄色と順番に変わっていったし、電車は時間通り夙川駅に到着し、朝の8時に乗れば決まってギュウギュウ詰めで、午後の1時に乗れば必ず座れました。
アルバイトは9時45分にはじまり、1分でも遅刻をすれば1ヶ月間の時給がうんと下がりました。

それが1995年1月17日までぼくが見てきた世界でした。

でも一瞬にして住み慣れた街は崩れてしまった。信号もつかず、電車も動かなくなりました。
自宅の電気も水道もガズも何もかもがストップ。

テレビで震災の映像が流れると消防車のサイレンの音や、燃え盛る炎や、「早く助けろ!」という怒号などで現場は騒然とした印象ですが、実際の震災直後の被災地は驚くほど静かでした。

車も電車も走らず、人々は(ぼくも含め)何が起こったのか分からず、静かにいました。
静かに公衆電話に並び、静かに給水を待ちました。

目に見えていた秩序は脆く、信号も電車もストップ。アルバイト先は火災で燃えてしまいました。

目に見えない秩序はこういう時もへっちゃらなようで、みんな列になって給水や炊き出しに並びました。
一番近くで営業している銭湯の場所を教えあい、信号だって消えていたのに渋滞の国道はクラクションを鳴らす車はありませんでした。

崩れたもの、崩れなかったものをこの目で見ることができたことはぼくにとって、これまで生きた中で最も重要な事で、あの強烈な揺れとともにその記憶は忘れないものだと思います。


ぼくは、震災の起こった時19でした。
震災まで約20年生きて、また震災後も20年生きました。

これから震災後に生きた時間が長くなってゆき、少しずつ震災の記憶も遠いものになってゆくのだろうけど、せめて1月17日だけはじっくり地震のことを考えたいと思います。

そしてあの時感じたことをいつまでも大切にし、若い娘たちに伝えなければと改めて思います。


今日は滋賀まで家族撮影に呼んでいただきました。
本当に仲の良い家族で、2歳の息子コウタくんはすっかりぼくにもなついてくれて、家の中を走り回り、みんなで大笑いして撮影を続けました。

毎日家の中で繰り広げられているかもしれないけれど、思いっきり幸福なこの光景に立ち会えることに感謝にしなければと思います。

そう思って運転中の帰り道。道路はキラキラ輝いていました。


河田洋祐

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50年アルバムという商品を僕たちは提案しています。

50年アルバムとは結婚式の撮影からスタートして、年に一度記念写真を撮ってゆき、アルバムに貼り付けます。50年後にすべてのページが埋まって1冊のアルバムが完成するというもの。

50年後、最初の写真は2人だけで写ったものでも、時を重ねるごとに子供ができ、子供結婚しやがて孫ができていてみんなで写真に写る…そんな家族の移り変わりをアルバムに残せたら素敵だなあと考えています。

もちろん1年に何枚もの写真を使っても良いし、言葉や絵を添えても素敵だなあと思います。子供ができたら子供の手型なんか入れてもオッケー!


お客様に50年アルバムの話をすると「良いですやん!」って結構乗り気になって下さいます。

「ぼくの頭ツルツルになってるかも」

「老人ホームに撮りに来て貰わないといけないかもしれませんね」

「河田さん90ですやん、生きてるんですか?」

なんてかなり盛り上がります。

そんな50年アルバムを頼んでくださったまあくん、にのさん夫妻の撮影に昨年末行ってきました。

1年目はお父さんが住む琵琶湖での撮影、2年目はお子様が生まれ家族3人で。(長く住んだ東大阪からもうすぐ引っ越すということで思い出の場所を自転車で撮って回りました)

そして今年は新居が出来たので新居で。

撮影の際は1年ぶりに顔を合わせるので、決まってこの後1年のお互いの出来事を報告をします。

そしてパチパチと写真を撮る。

長男のアオイくんはすっかり立ってひとりで遊ぶことができるようになっていて、その姿に驚きます。
(1年前は首も座っているかどうかの赤ちゃんだったのに)

まあくんちのリビングには50年アルバムが飾ってありました。

中身を見せてもらうと、1ページに何枚もの写真がびっしり。しかもその年の家族の出来事もたくさん書いてあって、この1冊に家族の歴史が凝縮されていました。

「毎年1ページを完成させるのが恒例行事になってるんです」

と、にのさん。嬉しいです!

このアルバムが完成するまで長く、まあくん、にのさん家族とお付き合いが続くと思うと嬉しくてたまらないし、
50年アルバムがあって良かったと思います。

ちなみにアルバムの最初のページはまあくんとニノさんがアルバムを縫っていところの写真。

50年アルバムを自分たちで作りに来ることだってできるのです。

2011年の結婚式・ロケーション撮影から写真は始まり、3年間だけでも、ご両親と琵琶湖での撮影、引っ越しをするので去ることになる思い出詰まった街中で撮影、アオイくん誕生、ご新居での撮影・・・
家族の沢山の出来事を写真に残すことができました。

これから先もさまざまな歴史が刻まれるアルバムになりでしょう。

どんな写真を残すことができるか楽しみでなりません♪


河田洋祐

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ロケーション撮影や結婚式からふたりの撮影はスタートしました。2011年のこと


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昨年末の撮影。アオイくんはすっかり大きくなりました!


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今年も気がつけばあと数時間で終わってしまいます。毎年思うのですが、気がつけば1年一瞬です・・

今年もお客さまや仕事仲間に恵まれ、素晴らしい1年を過ごすことができました。ありがとうございました。
数多くの喜びの瞬間に立ち会い、数多くアルバムを縫って、長い時間暗室にこもりました。

この数年で撮影させていただいた結婚式の形態が大きく変わったことを実感します。

以前はホテルでの結婚式も多く撮影させていただいていましたが、最近はガーデンでの結婚式が格段に増えました。青空の下、緑の匂いを嗅ぎながら撮影をするのは開放感があってとっても楽しい、この撮影大好きです!

「夏フェス」をテーマにした大規模なアウトドアウェディングもありました。
来年はもっともっとアウトドア志向が強くなりそう。体力を蓄えなくっちゃいけません。(これも2015年の目標のひとつ)


2015年のケープ・ライトのモットーを考えてみました。

2015年は「心がバクハツする写真に挑む」

これはどういうことか・・

ちょっと長くなるけれど説明します。


ぼくはこれまで40年近く生きていて、「心がバクハツする」体験を何度かしてきました。

「心が震える」ことはよくあります。きれいな風景を見たり、感動的な結婚式立ち会ったり・・

「心がバクハツする」っていうのはこれとはまた違って、心の震えどころではなく、ブルブルっていう振動がこころの容器に収まらず「ドッカーン!」とバクハツすること。

これまでぼくの心が「バクハツした時は」、

婚姻届を書いて、市役所に提出した時(結婚式を挙げていないので入籍が一番ドキドキした)

妻の出産を長時間見守り、娘が誕生した瞬間に立ち会った時

初めてのアジア旅行でインド・デリーの人でごった返した市内の熱気のど真ん中に入った時

などです。

年末にロンドンに行った際、久しぶりに心がバクハツしました。

それはロンドンの街中に出た瞬間のこと・・・

ぼくはロンドン郊外のヒースロー空港に降り立ち、地下鉄でロンドン中心部に向かいました。
地下鉄は途中まで地上を走りますが、やがて地下に入り風景を見ることができなくなりました。

やがて中心部の駅に到着、多くの人に押されるように階段を登り、地上へ出た瞬間、景色はイギリスそのもの(イギリスに来たから当たり前なんだけど)目の前を二階建てバスがゆっくり通り過ぎ、目に入る建物は100年くらいたってるんかと思えるような重厚感あるものあるものばかり、写真や映像では見たことがあったと思うけれど、日本とはまるで違う光景に360度囲まれたその瞬間、ぼくの心はバクハツしました。

すごい光景に立ち会った時、心震える以上の体験をした時、心はバクハツします。

でも心バクハツするのはひょっとしたら「写真を見た時」にも起こるかもしれない。

お客さまの想像以上、予想さえできないような良い写真を届ければ、お客さまの心はバクハツするのではないか。


そう考えます。

理屈ではなく、心に直接飛び込む写真を残す。お客さまの心をバクハツさせる写真を届ける。

これを目指します。2015年もよろしくお願いいたします。


ケープ・ライト 一同

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今年も1年間ありがとうございました!!


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