ケープ・ライトのdiary

20180117

朝早く起きて仕事をしているとラジオから震災の話が聞こえてきました。
時刻は5時46分。

23年前の同じ時刻のことを思い出さずにはいられませんでした。

1995年1月17日。
大きな、遠慮の一切ない揺れ。というか家全体が巨人に揺さぶられているような感覚で目を覚ましました。
長い時間でした。

揺れが収まったあとはひたすら静か。
真冬にしては暖かい朝でした。

家族の叫び声を聞いて、大変なことが起こったんだと初めて知りました。


その日から、倒壊した家、瓦礫の山、サイレンの音、給水車に並ぶ列、粉塵・・
そういったものが身の回りの日常になりました。

震災直後はぼくも家族も、何も考えることもできなかったものが、親戚が長い距離を物資を持って歩いて来てくれて、勇気づけられたものです。
ひとひとりにはこんなに大きなチカラがあるんだと思いました。

多くの助けがあって、被災生活は少しずつ震災前の平穏さへ向かっていきました。
なにもかもが無茶苦茶になっていたのに、それがひとつずつ解決していく。
時間は掛かっても間違いなく生活は震災前のものに近づいて行きました。
ここでも人のチカラ。
決して投げ出さずに信じること、行動することの大切さを、その時は感じなかったけれど今思うと、多くの人の見えないチカラが復興へ向かわせたのだと感じます。



23年は感覚からするとあっという間。
でも実際は長い月日が経っています。
震災後先頭に立って家族を導いてくれた祖父はすでに他界し、祖母は90歳になりました。

ぼくの周りは震災を体験していない人が増えました。
(ちなみに今4人家族ですが、妻は福岡に住んでいたし、娘2人は当然生まれておらず、震災を経験しているのはぼくひとりです)


震災のことを伝えるのはぼくの仕事だと感じます。
それは、ただ単にその怖さを伝えることではなく、そこから復興へ向かった人のチカラ、強い意思・・そういうものを伝えなければいけないと考えます。

そして何かあったとき、ひとに勇気を与える存在になること。

それは震災にかぎらず日常においても・・・



1月17日は23年前を、そして自分自身を見直す日になっています。

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去年強風のため山頂まで行くことができなかった
富士山に今年も行ってきました

今年の目標ももちろん山頂で御来光です!

去年は(たまに)走っていたこともあり
わりとスムーズに7合目まで行った記憶があったのですが
今年は運動不足もありとっても苦しみながら登りました。

台風の影響で下界から押し寄せるガスが
瞬く間に空を真っ白にしたかと思うと
気がつけば青空になっていたりと
本当に山の天気は変わりやすく
雨が降らないかとはらはらするばかりでした。

でも、天候がころころ変わるおかげか
空気が済んでいるからか素敵な景色にも出会えました
気がつけば間近に七色の虹が出ていたり、
雲に輪っかの虹が出ているかと思えば
その中に自分の影が動いていたり
(ブロッケン現象というそうです)
日々の生活ではなかなか見ることができない景色に
疲れも吹き飛びそうなほど!

そんな景色を後に
友人と無言で励まし合いながら
無事9合5尺の山小屋へ到着し、
カレーライスをごちそうになりました。
カレーのおいしいことったら!!
そして息苦しい山小屋の中で即爆睡。
普通はなかなか寝付けないそうですが
普段から寝付きの良い自分を褒めたくなります
あとは朝天気がいいことを願うばかり。

早朝2時に起床し、朝食を食べいざ山頂へ向かおうとした時
私たちを出迎えてくれたのは満天の星に天の川!
こんなに綺麗な空は見たことがないくらいうっとりするものでした。
(写真がなくて申し訳ありません)

山頂まで着くとすでに多くの人が
日の出を待っていました。
天候は良かったけれどちょうど日が出るところに雲が、、

でも無事山頂まで行けたこと、
たくさんのきれいな景色に出会えたことが
今回の登山で得れた財産です。

富士山に登るにあたり登山靴を購入したので
また違う山に挑戦していきたいなと思います!

平岡愛子

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この夏、本格的な登山にチャレンジしました。

非日常を味わいたくて、そしてなまって来た身体を何とかしなくちゃと思って。向かった先は長野県の白馬。
ここから北アルプスの唐松岳という標高2600メートルの山に登ります。といっても途中まではリフトで登れるので、初めて登山でも何とかなる山なんです。

山小屋に泊まるという人生初めての体験もしました。

大部屋で雑魚寝。
おっちゃんおばちゃんとまったりと話をしたり、みんなで星空を眺めたりと一体感が心地良く感じます。特に星空が見えたときが誰かの一声でみんながぞろぞろ山小屋の外へ。ずっと霧の中だったので、月とたくさんの星が見えたときは大きな歓声があがりました。

おっちゃんおばちゃんのいびきを間近で聞きながらの一夜。
これも非日常ですね。

翌朝は4時に起き身支度を整えて出発。
こんな朝早く起きているのはぼくだけやろうな、と思いながら、うっすら明るくなった登山道を登っていくと、昨日非日常のいびきを聞かせてくれたおっちゃんおばちゃんにばったり出会いました。山登りの朝は早いものなのですね。

登って1時間たち2時間たち。
あたりは完全に明るくなり、北アルプスの山々がくっきり見渡せます。ぼくはどれがどの山かさっぱり分からないのだけど、その、まるで合成した景色を見るだけで十分感激します。

ずっと続く登りは結構きついもの。なるべくゆっくり、歩幅を小さくとって心拍数が上がらないように気をつけながら、のろのろ歩きます。

途中しばしば立ち止まって休憩。そんな行動を繰り返し、何とか山頂にたどり着きました。

山頂は何も遮るものがなく、360度の圧倒的な景色。思えばスカイツリーだって600メートルくらいだし、この2600メートルからの景色はまるで別世界。ぼくが毎日見ているのと同じ国とは思えません。

ぼくはこの山を登るためだけに来たのだけど、山頂には北アルプスを何日も掛けて縦走している人や、目の前の白馬山から切り立った崖を乗り越えて来た人など、只者ではない山人がだくさんでした。
すごいな、今度はもっと高い山にも登ってみよう。
テントでも泊まってみたいな。

たった一度の山登りですっかり有頂天。
山の魅力って凄まじいものがあります。

よく、物知りぶった人が言うセリフで思い浮かぶのが、

“人は2種類に分かれる。それは〇〇をした人と、〇〇をしなかったひとだ “

なんてものがあります。

例えば「人は2種類に別れる。それはインドに行った人と、インドに行かなかった人だ」みたいに。

ぼくは物知りぶって言うわけだはないけれど、山に登る前と登った後では何かが変わった気がする。
それもまた山の魅力の一つなのかもしれません。

まずはなまった身体を鍛えつつ、次の登山の計画を立てます。 に行かなかった人だ」みたいに。

ぼくは物知りぶって言うわけだはないけれど、山に登る前と登った後では何かが変わった気がする。
それもまた山の魅力の一つなのかもしれません。

まずはなまった身体を鍛えつつ、次の登山の計画を立てます。

河田洋祐

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少し、前にパリへ旅行してきました。

花の都パリ!
はじめてのヨーロッパに期待は膨らむばかり!

パリについてはじめに私を出迎えてくれたのは
高校生ぐらいのスリを狙う子どもでした。

海外ではスリに気をつけろというけれど
こんなにもあからさまにスリを狙われたのは初めてで
しかもまだ子どもなのにこんなことをしようとするなんて、
とショックを受けてしまいました。

それから電車に乗る時は行く人来る人
みんな疑いの目で見てしまいます。

だけどここはパリ!悪いことばかりは続きません。
むしろ危険な目にあったのはその1回くらい。

街の建物はどれも古くてただのマンションがかっこいい。

道を尋ねればその場所まで一緒に来てくれるし
電車に乗り遅れそうになって走っていたら挟まれないように
ドア近くの人が電車のドアを押さえてくれたりと
とても親切な人ばかり。

そして、食べるものすべてがおいしくて
食べたかったものが食べきれないほどでした。
このときほど無限の胃袋がほしいと思ったことはないくらい。笑


もうひとつ、
わたしが思い描いていたのとは
違うパリの街に出会いました。

シャンゼリゼ通りに並ぶ誰もが知るような
ブランドショップの前にはお金を乞う人の姿が。

そのギャップにも少しショックを受けました。
それと同時に私がこの人達にできることはなくとも
自分の目でこの光景が見ることが出来て
よかったとも思いました。

華やかなものにもそうでない部分はあって
そこを見るか見ないかで
世界の見え方が変わってくるような気がします。

パリに行って思ったことは
これからも自分の目で色んな世界を見てみたい!
そしてもっとスナップを撮りたかった。。

パリにまた行くためにいっぱい働いて
そしてもっとたくさん
いい写真が撮れるよう、がんばります\(^o^)/


平岡愛子


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阪神淡路大震災からきょうで22年が経ちました。

毎年この日にブログで書いて来ましたが、ぼくはその時住んでいた、阪急夙川駅の北側にある実家はこの地震で全壊し、家族全員が誰も怪我一つしなかったのが奇跡と言えるような状態でした。

同じ地域は古い建物が多く、それらの建物のほとんどが倒壊し、亡くなられた方も多くいらっしゃいました。

その時ぼくは19。それまで生きた中で最も衝撃的で、死を身近に感じた日でした。
震災後の数日間は風呂に入ることもできず、多くの人に励まされながらみんな何とか生きてきた気がします。


それから22年。

いつしか震災までの時間より、震災後の時間の方が長く生きたことになります。

西宮も、神戸も、記念碑を除いて震災の痕跡を残すものは皆無になり、鎮魂のための行事ルミナリエは規模が縮小されてきています。
ぼく自身日々の生活から「震災」を思い出す機会はどうしても少なくなってきています。

どうしても、忘れていくことは仕方のないことなんだろうと思います。



でも1年のなかでも、せめて今日だけは、あの震災のことをしっかり思い出して、命が今あることに感謝して過ごしたいと思います。

河田洋祐



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1月17日になると、何気なく過ごしている日常がとても幸せなものなんだ、と改めて思います。

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アキオさん、まゆみさん夫妻とはもう長い付き合いです。

初めて会ったときは2012年の初めて開催した1日写真スタジオ。
どんなお客さんが来るのかなーとドキドキして待っていた時に、ふたりはやって来てくれました。
ぼくたちも初めてのことでドキドキ、アキオさん、まゆみさんもなぜかドキドキ。

でも色々なアイテムを持ってきてくださったり、「ロンドンTシャツ」を着て来てくださったり(そうなんですこの年はロンドンオリンピックがあった年だったんです)楽しい撮影になりました。

その後も毎年のイベントごとに来てくださって、おしゃれだし、柔らかい雰囲気を纏ったアキオさん・まゆみさんってむっちゃ好きって言うのがケープ・ライトのなかでの共通認識になっていました。
今年の夏には、もちろん「リオTシャツ」で撮影をしました。

昨年、アキオさん、まゆみは結婚されて、その撮影もさせていただきました。朝自宅を出るところや、二次会に行く途中の梅田の街中でも撮ったりと楽しく濃い思い出がいっぱいです。
 
そして今年、まゆみさんには新しい命を授かりました。
ケープ・ライトのスタッフみんながお祝いムードに包まれました。

先月撮影したマタニティの撮影では異人館を借り切ってじっくと撮りました。
間もなく生まれてくる子に「元気で生まれて来いよ」なんて願いを込めながら。

もう今月末には生まれそう

ぼくたちもはらはらしながら誕生の瞬間を待っています。

ぼくたちの仕事は撮って終わり、って言うわけではないのが自分の誇りになっています。
撮って、その先の家族の成長をまた撮って。

次は家族3人での撮影になりそう。そして4年後には「Tokyo」Tシャツを着て写真を撮りましょう。今から楽しみにしています!!


河田洋祐


ケープ・ライトのホームページはこちらからご覧いただけます


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今年の撮影。カナトくん3歳でした。初めて生クリームは入ったケーキを食べます!


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2015年の撮影。2年連続王冠のプレゼント

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2014年カナトくん1歳のバースデー。結婚した時から住むお家での撮影でした

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カナトくん0歳の時のさくらフォト

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2013年、カナトくんはまだお腹の中に

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2011年、結婚5周年の記念撮影です。中央公会堂で和装で撮りました


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2006年の結婚式。この時はみんな若いです!!





ケープ・ライトは今年で10周年を迎えました。

ぼくが数字を数えるのがどおやら苦手で、自分の年齢も20以降はよくわからない(ふりをしている)し、ケープ・ライトを設立してからも、ひとつひとつの結婚式の撮影、アルバム作り、打合せ・・などを続け気がつけば10年が経っていたという感覚です。

その10年には多くのお客さまやスタッフたちに支えられたのは言うまでもないことだし、それは本当に有難いこと。
ちなみに、ぼくの年齢が思い返してみると30から40になったことや、体重が10キロくらい増えたことも事実です。
妻も推定で◯キロ位増えたようだし、子供も1歳から11歳になりました。2人目もいるし。10年で変わったことは多くありました。

今年、実感がなくケープ・ライト設立から10周年を迎えたのですが、10年がたったと思い知らされたのはお客さまからのコトバでした。

10年前に撮影をさせていただいた方から何年ぶりかの連絡がありました。

「もう10年です!あの時はお世話になりました。いまでも写真を飾っています!!」

そのコトバでぼくは頭のなかで10年前にタイムスリップします。三田まで打ち合わせに出掛けたこと、フィルムが足りなくなって二次会に行く途中に写真屋さんで買い足したこと、たった一人で一日走り回っていたこと。


毎年撮影をさせていただいているイシサカ夫妻も結婚10周年でした。

先日ご自宅に息子カナトくんの3歳のバースデー撮影にお伺いした時のこと。

「もう今年で10年です」

「最初にカワタさんに会って撮ってもらった時の写真、まだ部屋にありますよ!」

まったく予期していなかった言葉にぼくはハっとなりました。

イシサカさんは2006年秋に結婚式を撮らせていただき、5年後に和装で記念写真を撮らせていただき(結婚式は洋装だったので5年たった節目に和装の写真を撮りました)、その後は毎年記念写真の撮影をさせていただいています。

この3年は長男、カナトくんのバースデーに撮影に呼んでいただいて、決まってバースデーケーキをご馳走になって・・
(結婚式の前やその直後に家に招いてもらって、遊んでもらったうちの長女とおのも今では11歳です)

長い長い繋がりです。

イシサカ家の一角にはこれまでの家族写真を並べているコーナーがあって、そこには結婚式当日にイシサカ夫妻とぼくとが3ショットで写った写真がいまも飾ってありました。

嬉しい


ぼくの仕事は家族の大切な日、宝物を作ることなんだと改めて実感しました。

そしてこの10年の時間を実感しました。

続けるっていうのはとても大切なこと。
こんな素晴らしいお客さまとの出会いがあって、ケープ・ライトは10周年を迎えることができました。

感謝してもしきれない10年です。ありがとうございます。

これから20年、30年続けて行ってさまざまな家族の歴史を残して行きたいと考えています。

決して派手な写真は撮らないけれども、後から見返してみて「いい写真が残ってるわ」と思ってもらえることが何よりも幸せ。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


河田洋祐


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今年の撮影の時、2006年の結婚式前の打合せで撮った写真を見せていただきました。変わっていないつもりでも10年たてばみんなそれぞれ年を重ねたと実感します