ケープ・ライトのdiary

20070617

「まだフィルム使ってるんですか?」

撮影現場で居合わせたフォトグラファーや、カメラ好きのおっちゃんからよく言われます。

ここ何年かで、従来のフィルムカメラを使うフォトグラファーは随分少なくなり、代わりにデジタルカメラを使う人が圧倒的に多くなりました。

デジタルカメラのメリットは色々とあるようだけれど、多くの人に共通する部分は2つあって、フイルム代・現像代が不要で経費が安くつくこと、撮った画像をその場で確認できること。それがとっても良いことらしいのです。

ぼくはフィルムカメラしか使わないので、そのふたつのメリットを正直、少しうらやましく思います。

感材費が少なくなればその分多くシャッターを切ることができるし、経費の節約にもなります。そして、その分お客さまにも還元できるのです。また、撮影した画像をその場で見ることができると、とりあえず安心できます。(プロのフォトグラファーとして何年も仕事をしているけれど、今でも現像が上がるまで毎回「ちゃんと写ってるかな?」ってドキドキして待っています。もちろんちゃんと写ってるんだけど。)

それなら、なぜフィルムカメラを使うか?

それはフィルムでしかできない表現方法があるから。

暗室でのプリント作業。丁寧にやればすごく柔らかいトーンのプリントを作ることができて、その「柔らかさ・優しさ」はぼくが写真の中で表現したいものの核の部分です。そして暗室の中で撮影したフィルムに刻まれた像と対話することができます。その時間は貴重なものなんです。撮影した時の温度や匂い、交わした会話なんかが蘇ってきて、そこからプリントの調子を考えて行ったり、写真の良い所、悪い所なんかを細かく分析したり・・・。ひとつの写真と長く向き合うので自然と思い入れも出てきます。

ホントよく聞かれます。
「まだフィルムカメラ使ってるの?」

「デジタルカメラ使えないと、もうこの業界では仕事貰えないよ!!」
東京をフィールドにしている友人のフォトグラファーはそう言いました。(業界ってどの業界やねん?!)

でも、そんな話、正直どっちでも良いことです。

フォトグラファーの仕事は、写真の中にどれだけ自分の「志」と「思い」を込める事ができるか、だと思います。(少なくともぼくはそのことを常に最優先に考えています。)

それができなければ、いくら高価な機材を使っていても、難しいテクニックを用いても無駄になってしまうでしょう。

20070611

我が家の近くに夙川という川が流れていて、この川は春は桜がきれいだし、その後はカルガモの親子を見ることができたり、夏にはザリガニを捕ることができたりと、スバラシク自然を満喫できる場所です。

しばらく前に、この川にホタルがいるということを人づてに聞いて、今日妻と娘を連れて見に行ってきた。

ぼくは生まれてからずっとアスファルトとコンクリートに囲まれて生きてきたので、ホタルなんて山の奥の清流に行かなければ見ることのできない、ある意味“おとぎ話のなかの生き物”といったイメージがあり、「よし!今からホタルを見に行くぜ!!」と夕食後、家族の前で宣言したのだけど、内心「ホンマに夙川にホタルいるんかな?」って半信半疑。

そして半信半疑(いや疑が8割くらいだった・・)のまま出発。

家から10分も歩けば夙川で、川沿いをどこやどこやと探していると、人が多く集まっている場所を発見。急いで駆けつけてみると、控えめな緑の光。いましたよ。見つけましたよ。

多い数ではないけれど、ゆっくりと飛んで、ゆっくりと燈ったり消えたりする光。さっきまで眠そうにしていた娘(二歳)もホタルが何なのか分かったのか急に元気になりその辺を走り回っている。おいおい、真っ暗なんやから川に落ちないように気を付けなさい。

川原には2.30人の人がホタル見物に来ていて、ゆっくり歩いたり、座ってみたりと思い思いのスタイルでホタルを楽しんでいる。

こんな場所では知らない人同士でもフレンドリーで、小学生くらいの子供の手に乗ったホタルを皆で見せてもらったり、「君の後ろにホタルが飛んでるぞ!」って初対面のオッちゃんに教えてもらったりで、日本中にホタルがいれば犯罪やいじめも無くなるように思えてくる。

川原に三人並んで座ってみると蒸し暑い中にも涼しい風が吹いて、とっても気持ち良く、顔のすぐ側を緑の光が通り過ぎたり、まったく夢のような時間。普段の生活の場すぐ近くにこんな素晴らしい場所があるなんて、ホタルを見ることが出来るなんて・・・

そう思って、緑の光を眼で追った6月の夜。

今日はとっても幸福。

20070609

大阪市内でウェディングの撮影がありました。

とてもあたたかで、祝福と感謝の気持ちに満ちたパーティーでした。そして今日は披露宴がおひらきになった後のなんでもない光景が心に残ったのでその事を書きます。

披露宴がおひらきになって、ゲストの方々が会場から外に出て・・・そこにはパーティー会場の半分ほどの大きさのホワイエだったのですが・・・多くのゲストの方々はすぐには帰途につくのではなく、新郎新婦と記念写真を撮ったり、ソファに座ってくつろいだり、親しい友人同士輪になって話をしたり、思い思いの事をして結婚式の余韻を楽しんでいるようでした。

片隅にピアノが置いてあって、ゲストのひとりが弾き始めました。子供達は曲に合わせるかのようにグルグルと走り回って、お父さんは夢中になってビデオカメラで子供の姿を追いかけて、時折弾けるような笑い声が起こって・・・。

そんな時間が一時間ほど。

撮影は終わったけど、ぼくはこの空間がとっても居心地が良くって、何をするでもなくカメラを片手に持ったまま身を置いていました。

それぞれの人が思い思いの時間を過ごしているだけなのに、元来ぼくがノンビリした性格だからなのか、この静かな時間がかけがえのない物に思えてなりません。

皆の頭の中には今日一日の出来事がゆっくりと回っているのだと思います。そして抱いた思いを全員で共有しているのでしょう。「良い結婚式やったね。」と言葉にしなくても気持ちは通じます。

窓の外が暗くなり始める頃、ゲストはひとり、またひとりと帰路に就きました。

こうして、ここであった皆の気持ちの共有は終わったのだけど、抱いたあたたかい記憶はそれぞれの胸の中に仕舞われて、明日からの生活の大きな宝物になることでしょう。

ぼくにとっても、もちろん大切な宝物になりました。
ありがとうございました。