ケープ・ライトのdiary

20120808

こんにちは。
メーテルこと伊藤です。
河田さんが前の記事でアップしているのですが、6月18日~20日、東北の石巻・気仙沼に行ってきました。
詳しい経緯は河田さんの記事に書いてあるので省きます。

なかなかあのときのことを文章にすることが出来ず、こんなに遅くなってしまいました。

まず、東北に行く機会を与えてくださった、
KOUの久保田さんと羽澤さん、そして鈴木さん、内田さんに感謝しております。
ありがとうございました!


なにから書いたらいいのかわからないのですが、、、

率直に感じたことは、行ってよかったと思いました。
「よかった」って言葉は適切ではないのかもしれませんが、それ以外にかわる言葉がわからないので、
この言葉で言います。

わたしは、戦争も経験してなければ、阪神大震災もまったく覚えていないし、
街がなくなる という現実は、わたしにとってまったくリアルに感じられず
何度テレビで津波の映像を見ても、怖い悲しい苦しい という感情はあっても、
なんというか、映画を見ているような、よくわからないかんじでした。
正直、見るのが怖かったし、東日本大震災というものに心からちゃんと向き合っていませんでした。

でも、一年が経ったとき、あるテレビの特集で、わたしと同い年くらいの福島の女の子が

「もううちらは赤ちゃんとか産めないし」

と言っているのを見たとき、
心臓にどかんとパンチをくらった気がしました。

その子の苦しみとか現実を、知ろうとさえしていなかった自分にすごく情けなくなったんです。


そのとき、被災地に行きたい。と思いました。

ただ、たくさんの人やものが流されてしまったその場所を、「自分の目で見たい」
という気持ちだけで行くのは、そこにいる人たちにとって不快でしかないんじゃないかな、とか
行ってどうするの?わたしに何かできるの?とか、
なんだかもうよくわからない考えがグルグルグルグルしていました。

けっきょく自分ひとりだったら頭でずーっと考えるだけで何も出来なかったと思います。
だから、このきっかけをくださって本当によかったと思いました。


被災地は、実際に見て歩くと、わたしの想像力ではこれっぽっちも及んでいないほど
この目で見た街の光景は衝撃でした。

カタチはあっても、人がいない。
よく見れば家はゆがんで、一階部分は骨組みだけのからっぽの状態。
そして街にただよう今まで感じたことのない空気。
人気がない街ってこんなに空気が違うんだ。
そこにあるはずのものがない、っていうのは、異様で、こわくて、力がなくなる感覚でした。


そんな現実と毎日、地震の日から毎日、闘っている東北の人たち。
感じたままを言うと、東北の人たちはとても、強くかっこよかったです。
たった3日居ただけのわたしには、表面的な苦しみしか解っていないけど、
もっともっともっと深いその悲しみや痛みと向き合い闘っている人たちはかっこよかった。

生きているパワーがみなぎっていたし、
その目に映るのは悲しみとか暗いものじゃなくって、
あかるい方向を見ようとする思いがあった。

お前ももっと生きろよ、と激励された気分でした。
生きる力をわたしはもらいました。


わたしは「被災地へ行く」ということを、すごくすごく大きなことのように思っていました。
意味とか理由とか覚悟とか、わたしにできることって?とか被災地に住む人たちの目とか考えて、
余計に自分に重い荷物を乗せて、おおきなおおきな旅をしないとダメなんじゃないかと自分に思わせていました。

でも違いました。
そんな風に思っていたから、余計に被災地を遠い遠い場所のように感じていたんですね。

東北で出会ったオノデラさんが話してくれた言葉のなかで、
「おれとか東北の人たちは、ボランティアにいっぱい来てほしい、とか、助けてほしいと
思っているんじゃない。
たとえば、ボランティアに来て知り合った人が「ただいま!」って言って
また帰ってきてくれるのが嬉しいんだよ。
君たちだって、地震がなかったら死ぬまでに南三陸なんて場所きっとこなかったでしょ。
でもそんな人たちがこの場所に来てくれて、東北の良さを知ってくれて
また「ただいま!」って東北に帰ってきてくれるだけですごく嬉しい」

というお話がわたしの心をスッと軽くしてくれました。
そうなんだ。
今回の旅で、東北という場所を知って身近に感じられるようになっただけでも
来て良かったんだ。って。
そう思えただけでわたしは東北に行けてよかった。

意味なんて、行くからわかるんだし、自分にできることも行くからこそわかる。
何もしていないのに、する前からわかることなんて何もない。



大阪に帰ってから、東日本大震災のこと、原発のこと、日本という国のこと
色んな情報がすごくたくさん自分の目の前にでてきました。
それは今、東北のことを身近に感じているから。


また来年、東北に行きます。

                 

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生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと惑るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたのてのぬくみ
いのちということ


生きる/谷川俊太郎

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