ケープ・ライトのdiary

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20160117

阪神淡路大震災から21年がたちました。

当時ぼくは19歳。住んでいた阪急夙川駅近くの実家は全壊し、幸い家族5人けが人も出なかったことが不思議なくらい家はむちゃくちゃになりました。
その日はぼくが生きてきた中で最も衝撃的な一日になりました。

でも、そんな日の記憶も時間とともに薄れ、毎日のやるべきこと、楽しみにしていることにしか気持ちが向かないことが多くなってきます。それは仕方のないことかもしれないけれど、毎年1月17日だけはしっかり当日のことを意識の中に置いておきたいと思います。

きょう、いつもの休日のように家族と午前中を過ごし、お客さまがアトリエに来てお喋りをし、出来立ての夕食をみんなで食べるというなんとも普通な一日を過ごしました。
いつもだと、「まあ、きょうもええ感じの一日やったな」なんて思って酒を飲んで眠りにつくのだけど、今日はちょっと違います。

何かをしている、ふとした瞬間に震災の時のことを思い出します。

1995年1月17日、19歳のぼくは、2016年に妻と娘二人と、あんなに被害が大きかった西宮でゆったりと暮らしているとは思わなかったし、仕事をする場があることも、電気や水道を普通に使えることも、できたての食事をとって温かい風呂に入ることもあの日には想像できないことだった。

今当たり前の生活が、できていて当たり前なんだと思っては行けないなぁ

震災の後、すぐに何十キロもある飲水を歩いて持ってきてくれた人がて、70歳の祖父が壊れた家の片付けの多くをしてくれ、ボランティアの方々の助けがあって、震災後のぼくたちの生活に希望が持てるようになった。

震災後数えられないくらい多くの方の助けがあって今の生活があります。

そのことを忘れてはいけない。


東日本大震災後、気仙沼を訪れた際知り合った方から昨日メールが届きました。

「阪神淡路大震災から早い事で、20年の歳月が流れました。 あの日震災に遭われた方々
の記憶には、耐え難い日々を過ごした年月かと思います…。」

という内容。

自身が東日本大震災の被災者でいまなお不自由な生活を強いられているのに、ぼくたちのことに心を寄せてくれる優しさに心を打たれました。

痛みを共有してくれるひとがいるということ、それは大きな勇気の源になります。

いつもはちゃらけてふざけてばかりしている40歳だけど、きょうはマジメに考えてみました。


河田洋祐

20150408-73.jpg
毎日が楽しく静かに過ぎていくって、最高の贅沢なんやろうな・・と感じます



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